去る1月20日、アメリカ合衆国第44代大統領にバラク・オバマ氏が就任した。その就任演説では、47歳という若さを背景に選挙期間中に繰り返し訴えた「変革・希望」、「Yes・・・We Can」、などのフレーズは影を潜め、代わりにアメリカが直面する深刻な危機情況への直視と、その対応に向けての国民一人一人への覚悟を促すものでした。・・・「危機状況を打開する為の変革、その変革の為には、国民一人一人の義務と責任の遂行とその共有。」
昨年のお正月以来強調し、私自身の課題であり、また指針でもありましたことは、『偽』の領域を払拭し、その反語である『真』に私達国民一人一人が立ち返る為には、「自己責任の原則」を銘記し実践することにあったはずです。・・・奇しくも平成20年は『変』、来る平成22年は「変化・改良・変革」といった象意をもつ八白土星中宮の年。・・・『変』の正念場でもある来年に向けて、打算と軽挙弃動を慎み、アメリカに遅れ馳せながらも「義務と責任」を持って、恥を知ることのできる日本国民でありたいと思います。
青木新門著『納棺夫日記』・・・毎日のように死者と接する中で「死」の尊厳性に気付いた時、「生」はその鮮やかな生気を帯びてきます。
以前から納棺の儀式に関心をよせ、この本に感銘を受けた俳優の本木雅弘さんの提案で、米国アカデミー賞外国語映画賞を受賞した『おくりびと』は誕生しました。
宗祖日蓮大聖人には、妙法尼御前というお方に送られたお手紙の一節に『日蓮幼少の時より仏法を学び候しが、念願すらく人の寿命は無常なり。・・・賢きもはかなきも、老いたるも若きも定めなき習いなり。さればまず臨終の事を習うて後に、他事を習うべし』との御言葉があります。私たちにとって常に限界情況である「死」を想定して後に物事に処することこそ肝要であるとのお論し・・・。実はこれが「生」をグレーにしない(ぼやかさない)為の必須条件であることを、私達は日常生活の中に忘れて来てしまっているのではないでしょうか?旅立って逝く者が、その遺族に残していく言葉・・・最後の遺言があるとすれば、「いつかは、みんな死ぬんだよ。だからこそ、この一瞬一瞬を精一杯生きて欲しい・・・」この言葉を最初に聞き取って、多くの方々にお伝えしていくのも、僧侶たる者の使命でありましょう。
去る2月8日、當山歴代住職のお墓の修復と共に、新たに合祀歴代廟の落慶建立が成されました。山梨県身延町総本山久遠寺にあります宗祖日蓮大聖人の御廟のお姿を頂戴した、この歴代廟の魂魄は、まさに前を向きて生きる為の心の宝塔であった訳です。
座右の句に、こんな句があります。
『投げられた ところで起きる 小法師かな』
起き上がり小法師(ダルマ)は、いつ・いかなる場所に放り出されても、文句1つ言わず、その場所を正念場として、コロッと立ち上がります。
私達の人生に対する処世も是非こうでありたいと想う今日・このごろ・・・。
「笑う門には福来たる」このことわざが本当かどうか・・・自分が尋ねられたらどう答えるだろうか?
『楽しいから笑うのではない。笑うから楽しいのだ』
プラグマティズムを提唱したアメリカの哲学者 ウィリアム・ジェームズの言葉です。
無理にでもニコッと笑う。この繰り返しを習慣づけることで、周囲の人達が心なごむ・・・そればかりではなく、腹だたしく思っていた事自体が、何かばかばかしい事のように思えてきたことはなかっただろうか。
お釈迦様が在世当時から行われてきた「慈しみの瞑想」を御紹介しましょう。
私が幸せでありますように
私の悩み苦しみがなくなりますように
私の願いごとがかなえられますように
私に悟りの光があらわれますように
私の親しい人々が幸せでありますように
私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように
私の親しい人々の願いごとがかないますように
私の親しい人々に悟りの光があらわれますように
生きとし生けるものが幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願いごとがかなえられますように
生きとし生けるものに悟りの光があらわれますように
私の嫌いな人々も幸せでありますように
私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々の願いごとがかなえられますように
私の嫌いな人々にも悟りの光があらわれますように
私を嫌っている人々も幸せでありますように
私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように
私を嫌っている人々の願いごとがかないますように
私を嫌っている人々にも悟りの光があらわれますように
生きとし生けるものが幸せでありますように
一玄侑 宗久著『無量光明の世界』
「自分が嫌い、嫌われている人の幸せなんて願えるか!」・・・理性が抵抗しようが、実感が伴わなかろうが習慣づけて、繰り返し繰り返し、心をこめて祈ってみて下さい。
以心伝心・・・必ず心からの祈りは相手にとどくものです。
『今の世相だからこそ、思いやりを忘れない』
先代 師父祥当七回忌の砌、切に想ったことでした。
6月初旬 新緑目映い比叡のお山(比叡山 延暦寺)にご縁あって参拝する機会を得ました。
東塔・西塔・横川(日蓮聖人が勉学・修行に勤しまれた定光院もあります)と終日かけてのお参りから、全山にただよう霊気は、私の想像をはるかに超えたものがありました。
鎌倉時代すでに宗教的総合大学の気風を厳然と保持していた延暦寺の初代総長伝教大師最澄様の学僧への戒め・・・・・・・
一隅を照らす、これ即ち国の宝也。
己を忘れて、他を利するは慈悲の極み也 ~『山家学生式』
宗祖日蓮大聖人が御年32歳、建長5年(1253年)、房州清澄山旭ヶ森から御一人にて昇り来る旭日に向かわれて、御題目(南無妙法蓮華経)をお唱えになられる以前の12年間を勉学に勤しまれた比叡のお山に今なおこだまする言霊が、『一隅を照らす』という、仏教者の終生忘れてはならない戒めであったことを改めて心に深く刻んだことでした。
『道心の有る人が国の宝であり、社会にあって能く行い、能く言う人、即ち一隅を照らす人が国の宝です。このような人を菩薩とも君子とも云うのです。』・・・・・・総選挙戦突入によって、更に暑い夏が始まりますが、泥にまみれ、汗まみれになって街頭で、声をからして「能く言う」のも結構ですが、民意という重い荷物を持ち上げる為には、まず「能く行う」人であって欲しい。
少しずつ少しずつ、力を尽くして道理に沿い、一途に1つの事に打ち込むことが先、その後から人様のことを決して軽んじることなく物言うべし。
既存の仏教が「葬式仏教」と言われて久しい昨今、「寺」の源点は、人が善意(無報酬)で集い、人間について語り合い、学び合う身心鍛錬の場であったこと・・・・・・まことに恥ずかしい自分と対峙した比叡のお山でした。
東京の繁華街で、都民にこんな質問をしたそうです。寺という言葉から何を連想しますか?・・・対象者の6割が墓と答えたそうです。こんどは、坊サンがそれ相応の身形で、町を歩いていました。さあ、何を連想しますか?こんどは対象者の9割が同じ答えであったそうです。みなさんだったら何を連想しますか?・・・答えは葬式。都内の、とある葬祭場で、平成20年度総葬儀件数の約3割もが「直葬」(僧侶執行による葬儀をせず、遺体を直接火葬場で荼毘に付し、納骨を希望する形式)だったという現実。
先の大戦で敗戦後、民主化に伴い『家』という観念は、家族の分散化、少子化と共に、既に消失しつつあります。
檀家制度を基盤としての「寺」の存在意義は、近い将来崩れ去ることは必定でしょう・・・。
仏教=仏法の「法」とは、「シ」に「去」と書きますが、水の流れ去る姿を表わしています。この世の中、命に限らず、全ての物事は一瞬たりとも留まるものはありません。「変化」=「無常」(常ならず)・・・これが、お釈迦様の発見(悟られた)した真理です。で、あるからこそ、死という1つの区切り、その区切りの死までを、どう生きるのか?・・・これが大切な事だと、お釈迦様は教えて下さっています。
『寺』とは、本来人が善意(悪意ではありませんヨ)と無報酬(見返りを求めない)で集い、仏法を学び、仏法を行ずる場であったはずです。
お盆は、元来私達が命の源点に立ち返る目線を、先人が1つの慣習という形で残してくれた尊い伝承です。お盆は、私達が人としての本来の「見識」を自らに問いなおす良いチャンスかもしれません。今月末には総選挙も控えているじゃありませんか。
日本人としての『見識』とは?・・・恥を知るということでしょう。
『9ヶ年が間、法華経を心安く読誦し候らし山なれば、いずくにて死に候とも、墓をば身延の沢に建てさせ給え。日蓮が魂は尽末来際までも、この山に止まるべく候。余人この山を基として参るべし。これ霊山浄土の契なり』
先代住職以来、毎年この日蓮大聖人の遺訓に従い奉り、本年も9/12~9/14、大聖の魂魄留まる身延の地へ46名の檀信徒有縁の方々と共に参拝行が円成できました。
大聖は、文永11年(1274年)、佐渡流刑から赦免され、再度鎌倉の地に帰られると、三度目の国家諫暁をなされますが、幕府、時の北条政権は、これを受け入れず、ましてや佐渡流刑中に鎌倉にての法華経信者は、その数激減をし、大聖とて人の子、内実は悲嘆のもと、身延の地に赴かれましたことは想像に難くありません。・・・しかし、建長5年(1253年)清澄旭ヶ森にて、たったお1人から御題目(南無妙法蓮華経)を高唱なされ、「我に日本の柱とならん。・・・眼目とならん。・・・大舟とならん。等と誓し願やぶるべからず。」と、大義に殉ずる覚悟・・・現代に生きる私達の多くが見失いつつある、人としての「見識」(平常心を保ちつつ、逆境に耐えぬく力。恥を知る、人としての品格。付和雷同せず、一途・ひたすらに自らの信念を貫く強靭な精神力)を、生涯にわたり堅持なされたお方であったことを肝銘すべきでしょう。
帰路、毎年参拝させていただく厚木市本山妙純寺貫首 堀 日賢猊下は、先代師父上人が生前中肝胆相照らす間柄、奇しくも本年は師父上人征当7回忌 月命日に、御縁をいただき、その飄々なるお人柄の中に、宗祖日蓮大聖人の「大義」を御年84歳というご高齢にもかかわらず、発憤興起し続けるそのお姿に、自らの軟弱な日常を痛感せざるを得ませんでした。
「今日は、柱の根巻も先達て完成したことだし、うちの鐘桜堂の鐘を一打ついてゆくといい・・・。」とのすすめにあまえ、「ゴ~ン」と一打響きわたる鐘の音におもわず合掌、頭を垂れると、そこには梵鐘に刻まれた一文が目に入ってまいりました。「願わくは、この鐘の音を聞く者は、悉く皆、菩提心をおこせ。 妙純寺 中興39世 堀 日栄」
御自身のお父様が在山中に丹精なされた梵鐘をそのままに新規模写復元なされ、再建し、魂を残し、・・・大聖の知恩報恩の精神を実践なされ、併せて伝承・継承の尊さを後世に残さんとする願行の姿が具現されておりました。
「菩提心をおこせ 菩提心をおこせ」・・・。私には「宗祖の大義を想いおこせ 宗祖の大義を想いおこせ」、こう聞こえてまいりました。
貫首猊下の言外のご示唆に心奮い立つ想いで、妙純寺を後にしたことでした。
『虚空蔵菩薩の御恩を報ぜんが為に、建長5年(1253年)4月28日、安房の国東条の郷清澄寺、道善の房、持仏堂の南面にして浄円房と申す者並少々の大衆に、これを(釈尊出世の本懐である妙法蓮華経の真髄【南無妙法蓮華経】)申しはじめて、其の後20年余年が間、退転なし。』・・・旭ヶ森より、太平洋上昇り来る旭日に向かわれて、声高らかに「南無妙法蓮華経」と獅子吼なされた日蓮大聖人は、その時たった御一人から・・・しかしそれ以降退転なし、言い切っておられます。自らの信念・道念を決して翻されず、貫徹なされたということです。
「悪事を己に向え、好事を他に与え、己を忘れて他を利するは、慈悲の極み也」(山家学生式 最澄 著)・・・日蓮大聖人は、自らを天台沙門と名告られ、延暦寺開祖 伝教大師最澄様を御自身の宗教的道念の原点とされました。
悲しいかな、今失われつつある本物の人間の原点とは?・・・
夢・願・望を決め、全力でチャレンジし続けること。実に虚しい世相に反して・・・そぅ、来年のNHK大河ドラマの主役は坂本龍馬たど聞きました。
『偽』⇒『変』、と来た1年を象徴する漢字、『新』のもつ清冽さをもって、飛躍の準備とする為には、棒立ちの姿勢から今一度深く身を『屈』めてジャンプ、凡事徹底(当たり前の事を当たり前に行う)を以て、時代の風潮に挑戦したい。