格言に、物事は〈始めが肝心〉とありますが、一方で〈終わりよければ全てよし〉ともあります。要はどっちも大切だということでしょう。昨年の時事川柳に「津波連れ、神も仏もない地震」・「陸に船、海に家浮く、地獄絵図」とありました。《想定外》・・・昨年、報道番組で何度となく聞かされた言葉でした。この造語は、人間の知識への傲り・傲慢さが作り出したものとは憶われませんか?
俗に、組織・会社の低迷の要因には、6つ在ると言われています。
①マンネリ ・ ②油断 ・ ③傲り
④妥協 ・ ⑤怠慢 ・ ⑥諦め
本年、私達が銘記しなければならない教訓でしょう。
昨年、H23年の干支は辛卯、十干の辛は、辛苦・辛酸・辛抱という熟語に代表されるように、万物・自然が一新する厳しい状況を・・・・そして易の卦は「兌」、これは沢(水をたたえるところ・水を受けとる場所⇒海・湖・川)を意味します。そして十二支の卯は、門をむりに押しあけて中に入りこむ様子、つまり開門を暗示していました。一昨年、H22年は『変革・改良・刷新』の正念場、つまり崖っぷち、後が無いんダ!その緊張感を一年の要とした年でした。そして心の猛「暑」と相対峙する覚悟の度合によって、その開かれた門の幸・不幸と真摯に向き合わなければならない、それが昨年であったはずです。その要となる姿勢が『自反尽己』(人に向ける指を、自分自身にむけて、そこを正念場として最善を尽す)。
「のぼってゆく坂の上の青い天に、もし一朶の白い雲が輝いているとすれば、それのみを見詰めて、坂をのぼってゆくであろう」・・・・司馬遼太郎著『坂の上の雲』の一節です。前のみを見詰めて歩いた、あの主人公たちの様な、日本人独自の気骨ある人物は、今どこにいるのでしょうか?
今年は六白金星という星が中宮に回座する年、易の言葉に、この星を称して『天行健なり。君子自ら勤めてやまず』とあります。健なりとは、天の動きは寸分の狂いも無く動いている。よって君子のような優れた人材も自からが細心の注意をはらいつつも、積極的に勤めてやまない、という意味だと理解して下さい。干支の壬は「任」(かかえこんだ責任・仕事を遂行すること)・「妊」(子供をはらんで、ふくれた様子」に通じ、又、方位としては北に位置しますから、「陰気極まって陽気を生じ、万物が発生する」働きを象徴する位置ですので、やはり、万物をはらみ、ふくれていく姿が想起され・・・・十二支の辰は「振」(沈滞したものに刺激を与えて、振い立たせる。救う⇒災害にあった者や貧困者に施して、元気づける)に通じます。又、方位は東南に位置し「陽気発動して、万物が動き始める」働きを意味します。
本年は、他動的外圧によって世代交代がスタートする暗示と共に・・・意識改革・革新せざるを得ない未知の世界への期待・希望と不安・不満が入り乱れる年になると考えられます。
「無縁社会」と呼ばれる、殺伐とした現代の世相にあって、私達国民1人~の意識改革も急務といえます。過去の日本の歴史を謙虚に回顧し、『涙の洗浄』を受ける時代に入ったのではないでしょうか・・・・涙は相手を心から想い、人の輪を大切にしながら、慈しみの姿の表れでもあります。昨年の心の猛「暑」を経た後の≪絆≫・・・・これこそが、日本人の歴史観に裏打ちされた私達の歩む姿勢と銘記して、お互いに新年をスタート致しましょう。
『三尺箸』という仏教説話が残されています。極楽、そして地獄でも、食卓上には、たっぷりのご馳走が用意されている。但し、どちらの住人も、三尺(約90cm)の箸を使って食べなければなりません。地獄の住人は我先にと争って、長い箸で自分の口の中へ入れようとするが、届くはずもなく、いつも飢えて痩せ細っている(貧欲の心 我欲と執着の心)。極楽の住人はといえば、長い箸でご馳走を取ると、向かい合う人の口の中に「さあ、どうぞ・・・」と食べさせ、お互いに与え合い、楽しく満ち足りた心持ちで暮らしている(慈悲の心)。自分の事ばかりを考えても、決して幸福にはなれない。それよりも、周囲の人の為にもまず行動することが、かえって幸福への近道となる・・・大震災発生後、一年を経過した今日、被害を受けた方々に報いる為にも、いままでの生き方を刷新する契機となる教訓といえるでしょう。
「人の命は、いつか終る、どれ程惜しんでも必ず終る。・・・終って後の世に残るものは何だ、金か、物か。その様なものは、時の流れの中に、はかなく消え失せよう。百年、人が記憶し、語り継ぐのは、何を志し、惜しき命を費して遂げんとしたか、その行跡しかないのだ」(『四十七人の刺客』―池宮彰一郎著)
例えば、会社でどんな立派な役職を持っていても、それは会社という光に照らされて自らも光っていることを自覚できますか?・・・・役職を離れ、職場を失った時、一個の人間として大した光も無いことを痛感するのが、私達凡人でしょう。と同時に、どれだけ一遇を照しきれたかは、その人が去って後、明らかになるものです。
今を純一に柔軟に歩む・・・・・私達が『彼岸』に到る6つの実践徳目(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)の中の「精進」に該当する御言葉に『精にして雑らず(一途・一筋に今自分に出来ること、せねばならないことのみを考え、まっしぐらに勤める)、進んで退かず(馬車馬の様にただ前進あるのみでは無く、曲がりつつもまっすぐ)』とあります。
「精進」の反語は「放逸」。放逸とは、欲・煩脳に従う、ということです。凡人である私達が名聞利養の為に一生懸命夜も眠らず働いても、それは「精進」とはいえません。『三尺箸』の譬えをかりれば、極楽の住人の姿あって、つまり慈悲の心・道理に従って間断なく歩み続けることこそが「精進」というものでしょう。・・・・曲がってもいいんです。また元に戻ることさえすれば!
彼ら(木や草)は時がくれば
花を咲かせ 実をみのらせ
自分を完成させる
それに比べて 人間は
何一つしないで終る者もいる
木に学べ 草に習え・・・・・
と、詩人の坂村真民さんはうたっています。「私は今まで何をしてきたか? 今何をしているか? 全身全霊をもってしたものは何か? ・・・・・これから何ができるか?」
テレビで放映された1年を経過した3月11日の大震災の現場の風景は、正に殺伐たるものでした。復旧・復興の正念場は終ったのではなく、これからが始まりと受け止めるべきでしょう。大雪と寒風にさらされている私達の同胞への願行を結集して、今年も、昨年に引き続き私達の憶いを夜藤の香りと、胡弓の調べに乗せて本年は直接被災地へお届けします。5月5日(土)PM6:00~(妙見宮大祭・6日(日)には祈 震災復興と称して御神輿の渡御も予定しています)、チャリティーコンサートへ是非御参集下さい。
50代半ばに差し掛かり、師父の逝った歳まで、あとたった僅か20年・・・・・・。
「優先順位を考え、焦点をしぼりあげたら、あと一体何ができるのか?何をしなければならないのか?あれも・これも・・・・」焦りと焦燥感に地団駄踏む毎日です。
その心とは裏腹に、治療中の甲斐あって境内の藤は、當山聖域の春景色を一層きわだたせ、ライトアップした中での夜藤を愛でながらの震災復旧・復興チャリティー・コンサートでの幻想的「紫色」は、今年も譬えようのない優美さと共に、今だに「藤の根の尊さに見習え!~ 」と私の心のグラツキを、かろうじて支えてくれている。
そういえば、作者は不明だがこんな詩があった。
『生涯の旅路』
私は私の一生の旅路において
今日というこの道を再び通ることはない
二度と通ることはない
二度と通らぬ 今日というこの道
どうして うかうか通ってなろう
笑って通ろう 歌って過ごそう
二度と通らぬ今日という この道
嘲笑されて そこで反省するのだよ
叱られて そこで賢くなるのだよ
叩かれて そこで強くなるのだよ
一輪の花でさえ 風雨をしのいでこそ
美しく咲いて薫るのだ
侮辱されても 笑ってうけ流せ
蹴倒されても 歯をくいしばって忍べ
苦しいだろう くやしいだろう
しかし君・・・この道は尊い といわれた人たちが
必ず一度は通った道なんだ
ある人が、桜の花の美しさに魅せられて、その色を染め出そうと花びらを集めて染めたところ、あわいピンクの桜色ではなく、うすい緑色になってしまったそうだ。桜色を染め出すには、花ではなく幹の皮を煮だした汁を使用すること、それも時期限定!花を咲かせる直前の幹の皮でなければならないと聞いた。幹は、冬の間に花の色の「命の精」をグッとたくわえ、全身にその精をみなぎらせて、一気に吹き出すようにして花を咲かせる。花は、つぼみだけで咲くのではないことを知った・・・・全身全霊をもって一事に処す。『処々に主となる』、仏法の神髄の一つといえよう。
作家の五木寛之氏が、ある対談の中でこんなことを語ったそうだ「朝顔の花は、朝の光を受けて咲くものだと思っていた。しかし、ある植物学者が朝顔のつぼみに24時間、光を当て続けても、花は咲かなかった。花が咲くには、朝の光に当たる前に、夜の冷気と闇に包まれる時間が必要不可欠な条件なんです」
『根無し草に花は咲かない
信念がなければ人生に
花は咲かない』
―松下 幸之助―
柔軟な心をもって、自戒としたい。
東日本大震災から1年と4か月。死者は15,854人、行方不明者3,155人。そして、今尚116,787人が仮設住宅暮らし(復興庁6月現在の統計)の今日、昨年1年を象徴した『絆』とは、一体なんだったのか・・・・・?
常日頃御策励をいただいている東京大学医学部教授の方より、本年の賀状には、こうありました。
思わざる
津波に遭ひて
わたつみに
消えし あまたの
人ぞ哀しき
『絆』の原点は、正にこの憶いにこそあったはずです。当時外国のメディアは、日本のことを「国民一流、政府三流」と報道しました。通常大災害時には、政府の不手際が生じれば、国家そのものの評価が下がるのが当たり前。しかし、日本は被災者の忍耐の姿に、世界から称讃を受けました。
震災直後の日本は、全土に『絆』の憶いが髙揚したにもかかわらず、政治の無謀・雑多な歩みの中で、いつしかそれに迎合・麻痺するかのごとく、私達直接に被災しない国民には所詮、他人事・・・・・時と共に無関心になりつつあることを自省すべきでしょう。又、想い出されるのは本年妙見宮初詣の際、参拝の皆様方に自然災害は、特に風水害による氾濫ありとの暗示を強調いたしましたが、熊本・大分両県での豪雨の気象情報では「これまでに経験したことのないような大雨」という言葉が繰り返され、震災時の大津波を連想せざるえない様な光景を観るにつけても、『絆』の実践についての有言不実行を恥と知るべきです。
仏教では、この世界を構成する要素を、「地」・「水」・「火」・「風」・「空」の5つに分類して「五大」・「五輪」と呼びますが、大震災にあてはめて考えてみて下さい。「地」⇒地震・「水」⇒大津波・「火」⇒火災も含めた原発事故・「風」⇒甚大かつ根拠なき風評被害・「空」⇒場当たり的政治の空白化、あるいは目には見えない放射能物質による恐怖心。どれもが該当する史上空前の大災害の真っ只中に実は私達は生きていることを決して忘却してはならないはずです。
江戸後期の儒学者佐藤一斎は、こう私達を戒めます。『一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂うること勿れ。只だ一燈を頼め』・・・・・
一燈から萬燈へ!
萬燈行
内外の状況を深思しましょう。
このままで往けば、日本は自滅するほかはありません。
我々はこれをどうすることも出来ないのでしょうか。
我々が何もしなければ、誰がどうしてくれましょうか。
我々が何とかするほか無いのです。
我々は日本を易ることが出来ます。
暗黒を嘆くより、一燈を付けましょう。
我々はまず我々の周囲の暗を照らす一燈になりましょう。
手のとどく限り、至る所に燈明を供へましょう。
一人一燈なれば、萬人萬燈です。
日本はたちまち明るくなりましょう。
これ我々の萬燈行であります。
互に真剣にこの世直し行を励もうではありませんか。
安岡正篤 「照心語録」より
『偲ぶ』とは、通常、亡き方を、ひそかに思い慕い、思いをはせる時に使用しますが、大漢和にて、お調べ下さい。原義は、「うまず、休まず努力精進する」と、でてまいります。
お盆にて志される各精霊をお迎えし、偲ぶ私達の心ばえは、正にこの『萬燈行』に尽きます。
『大震災被災地・被災者に憶う』
―9/4~9/6東北被災地慰霊参拝 その1―
恒例の日蓮宗総本山身延山久遠寺への参拝は、本年より《輪番》給仕参拝と、やや形式を変えて実施、無事円成致しました。・・・・
《輪番》とは、弘安5年(1282年)10月13日日蓮大聖人御年61歳の尊い御生涯を閉じられてから、その御遺言に従って、御廟(お墓)が身延の地に建立されました。その際6人(日昭・日朗・日向・日興・日頂・日持)の直弟子が交代で、大聖人のお墓をお守りし、ご給仕申しあげたことに由来します。・・・・
久遠寺到着後、御真骨堂御宝前にて、檀信徒の皆様方と御法味を言上すると共に、私の意図する真意は、現代という大変革期の時代・・・・「私達は今まで何をしてきたのか?今何をしているのか?全身全霊をもって、これから何ができるのか?」御法要中、次第にはありませんでしたが、前回の〈住職の一言〉に掲載させていただいた『万燈行』を大聖人の御霊にお誓いすることにあったのです。
萬燈行
内外の状況を深思しましょう。
このままで往けば、日本は自滅するほかはありません。
我々はこれをどうすることも出来ないのでしょうか。
我々が何もしなければ、誰がどうしてくれましょうか。
我々が何とかするほか無いのです。
我々は日本を易ることが出来ます。
暗黒を嘆くより、一燈を付けましょう。
我々はまず我々の周囲の暗を照らす一燈になりましょう。
手のとどく限り、至る所に燈明を供へましょう。
一人一燈なれば、萬人萬燈です。
日本はたちまち明るくなりましょう。
これ我々の萬燈行であります。
互に真剣にこの世直し行を励もうではありませんか。
安岡正篤 「照心語録」より
檀信徒と共に唱和し、私達1人~が、一燈をかかげ、与えられた分に応じて、自らの足もとから一歩~熟慮断行すること・・・・。昨年の大震災以来、私の願行は、仏祖の御教えに準ずれば、同事・同悲(相手の喜びを、我が喜びとし、相手の悲しみを我が悲しみとする・・・慈悲心)の精神を具現化すること。私の訓戒として常に範としている、お釈迦様の御教えに
過ぎ去れるを追うことなかれ
いまだ来らざるを思うことなかれ
過去、そはすでに捨てられたり
未来、そはいまだ到らざるなり
ただ今日まさに作すべきことを熱心になせ
たれか明日死のあることを知らんや (中部教典)
それは、昨年その組織形態を信頼しすぎて仲介とした日本赤十字社を通さず、東北被災地へ自らの足を運び、その現状と心から同化することによって、自らの僧侶としての使命観を再考することにあったといっても過言ではありません。
被災した人、又そうでない私達も、あの大震災は日本人にとって一体何だったのか?・・・・これから何をしなければならないかを真剣に考える。まずその為には、被災地の現場の真実を知ること。次に復旧を信じて共に歩むこと。今、私達がこうして今日只今生きていることが、如何にすばらしいことなのか!・・・・それこそが無念の死をとげざるを得なかった同胞への最大の供養であると同時に、意志を継承する唯一の方法であると確信したからです。
9月4日早朝4時過ぎ、銚子を自家用車にて1人出発、全走行距離は1320kmに及びましたが・・・・最初の目的地である岩手県大槌町に到着しましたのは、日が既に西へ傾きつつあった夕方4時過ぎでした。
次回へ続く
『大震災被災地・被災者に憶う』
―9/4~9/6東北被災地慰霊参拝 その2―
一燈を提げて暗夜を行く
暗夜を憂うることなかれ
ただ 一燈をたのめ
― 佐藤 一斎 ―
被災した人、又そうではない私達も、あの大震災は日本人にとって一体何だったのか?・・・・これから私達が全身全霊をもって、何ができるのか?・・・・まずその為には、被災地の現場の真実を知ることから始めなければなりません。次に復旧を信じて共に歩むこと。変えていく為には、私達が同じ理念をかかげて、共々に立ち上がることが必要です。
生きているということは
誰かに借りを作ること
生きているということは
その借りを返していくこと
誰かに借りたら誰かに返そう
誰かにそうしてもらった様に
誰かにそうしてあげよう
生きていくということは
誰かと手をつなぐこと
つないだ手のぬくもりを
忘れないでいること
めぐり合い 愛し合い
やがて別れの日 その時悔やまない様に
今日、明日を生きよう
人は一人では生きてゆけない
誰も一人では歩いてゆけない
― 永 六輔 ―
『一燈』とは、現代の無縁社会にあっては、正に『絆』の復興と実践あるのみです。「つないだ手ののぬくもり」を、これから毎年実感し、継続・頂載しに現地へ足を運ぶことです。―今年9月がその第一回目でした。
9月4日、その『一燈』を求めて、銚子を1人、自家用車にて出発したのが早朝4時過ぎ、最初の目的地である岩手県大槌町・日蓮宗蓮乗寺様へ到着したのが、夕方4時過ぎでした。陸中海岸国立公園に属する沿岸部に所在する為、この町は津波と火災で壊滅的被害を受けました。『人生は、にこにこ顔で生命がけ』(元 京大総長 平澤 興)という言葉がありますが、蓮乗寺 住職 木藤 養顕上人の第一印象は、正にその風貌でした・・・・。
本堂焼失前にて懇ろなる御回向をさせていただいた後、現プレハブ寺務所にて約2時間の貴重なお時間をいただき、大震災当時に想いを馳せての御住職の覚悟に耳を傾けさせていただきましたが、・・・・一言で申せば「あ~、そぅ、そぅ」平澤 興先生の
生かされて生きるや 今日の
この命
あめつちの恩 かぎりなき恩
という心境を彷彿させる、淡々と語る御住職の当時の悲惨な状況も、ものともせず、ひたすらに前進せんとする原動力は、一体どこから湧いてくるのか?・・・・不思議でなりませんでした。
蓮乗寺様も、火災で本堂・客殿・庫裡ともに全て焼失、400軒の檀信徒の内、300軒が被災、檀徒家族を含めて161名が津波の犠牲となられ、未だに28名の遺骨の身元が不明で仮設プレハブ納骨堂に安置され、町の復旧には最低10年はかかると言われている中で、檀信徒一丸となって、心の拠り所としての寺門再興を優先・邁進している、そのパワーに共鳴しての義援活動に協賛させていただきながらも、荒れ野と化した大槌町の一遇に『一燈』を提げる、被災の現状と真摯な態度で対峙する御住職・檀信徒の皆様の姿に、正に汚泥に咲く一輪の白蓮華の花を連想させられる想いで、蓮乗寺様を後にしました。再生への息吹・たゆみない信仰の力・・・・様々な声が私には聞こえてまいりました。
壁が前に立ちはだかった時、人が辿る道には2つあります。1つは壁に敢然と挑み、なんとしても乗り越えていこうとする道、もう1つは壁に圧倒され、委縮し、逃避する道・・・・壁は天が与えられた試練である、と自分自身に強く言い聞かせ、又、謙虚に学ばせていただきながら、車中読経・唱題を絶やさず、次の目的地陸前高田市へと向ったことでした。
次回へ続く
『大震災被災地・被災者に憶う』
―9/4~9/6東北被災地慰霊参拝 結 ―
被災の現状と真摯な態度で対峙する木藤御住職・檀信徒の皆様方の生きる姿勢に、正に汚泥に咲く一輪の白蓮華の花を連想させられる想いで、岩手県大槌町蓮乗寺様を後にし、翌日、震災前であれば風光明媚な陸中海岸国立公園を陸前高田市への車中、読経・唱題を絶やさず、復旧が遅々として進まない情況を目の当りにし続けますと、無念の想いで旅立って行かれた方々の様々な無言の遺言の声が私には聞こえてまいりました・・・。
一隅を照らすもので 私はありたい
私の受け持つ一隅が どんなちいさい
みじめな はかないものであっても
わるびれず ひるまず いつもほのかに
照らしていきたい
殺伐とした荒れ野を連想させる陸前高田市に入り、何のアポもとらずに訪れた山の高台にプレハブで仮設された市役所・・・215名の職員の内、112名が亡くなられたにもかかわらず、慌しく立ち働く職員の中で、奇しくも総務部災害対策室長との面談がかない、心よく応対してくださった談話の中で、被害死亡者数1728名、今だに行方不明者は32名に及ぶ現状もさることながら、瓦礫処理に最低3年、その後防潮堤再築にこれまた3年、復旧に至る道のりは、最低8年~10年を必要とする等との説明に愕然としながらも、その後、旧市役所玄関前にて慰霊供養をさせていただきながら、その内部が震災後当時のままの有様に、全く現状の報道が、その真実の姿を伝えてこなかったことに対してこみ上げて来る涙と共に、いとも簡単に「復旧・復興」という言葉を口にしていた自分自身、そしてそれを増長せしめてきた為政者の無責任さに、底知れぬ憤りがこみ上げて来るのを禁じ得ませんでした。この感情は、次に参拝した石巻市立大川小学校の慰霊祭壇前にて、深い想いを今生に残して旅立って行った67名の児童への供養を一心にさせていただいた時には、その苦しみは筆舌に尽し難いものに変っていました。
震災は今尚、生々しい現実であるにもかかわらず、被災地以外の私達からは、どんどん忘れ去られようとしています。
『遠くをはかる者は富み、近くをはかる者は貧す』 二宮尊徳の戒めです。人は決して自らの《幸せ》を捨てることはできません。ただ20年・30年先をしっかり見据えて、次世代をも視野に入れた《幸せ》を、誰が言い、実践するか、それに尽きます。
戦後、吉田茂は次の様な言葉を残しています。「日本人独自の美徳は、克己勉励(忍耐)・忠誠心である」と。温故知新に、真剣に学ぶ時代が来ています・・・来年、平成25年は奇しくも五黄土星の年・・・天変地異・争乱・混迷等が暗示の年であることは、歴史が証明しています。明日は「我が身」・「一寸先は闇」・・・こんな当たり前のことすら私達の日常からは忘却されつつあります。
《平和ボケ》の日本に、私達其々の立場に於いて、自分自身にクサビを打つ勇気を持とうではありませんか!
震災後、大多数の国民が再認識させられたのは、《あたりまえ》の日常がいかに尊いか!ということ。多大な恵みを受けつつ、生かされて、生きている実感・・・。
物事を成就する要諦は、《発心・決心・持続心》この3つです。この中で、だれもが物事を決心するところまではいくものですヨ・・・。志を持ってネ。しかし持続心、これが難しい。
今回の大震災によって、地域的温度差はあったとしても、その真実の姿を如実に実感することで、国民の『絆』は強化されたはずです。後はそれを継続・持続する根気を持つことを、自らの自戒とすること。来る平成25年が、その様な年になることを切に願わずにはいられません。
― 結 ―
南無妙法蓮華経