青木新門著『納棺夫日記』・・・毎日のように死者と接する中で「死」の尊厳性に気付いた時、「生」はその鮮やかな生気を帯びてきます。
以前から納棺の儀式に関心をよせ、この本に感銘を受けた俳優の本木雅弘さんの提案で、米国アカデミー賞外国語映画賞を受賞した『おくりびと』は誕生しました。
宗祖日蓮大聖人には、妙法尼御前というお方に送られたお手紙の一節に『日蓮幼少の時より仏法を学び候しが、念願すらく人の寿命は無常なり。・・・賢きもはかなきも、老いたるも若きも定めなき習いなり。さればまず臨終の事を習うて後に、他事を習うべし』との御言葉があります。私たちにとって常に限界情況である「死」を想定して後に物事に処することこそ肝要であるとのお論し・・・。実はこれが「生」をグレーにしない(ぼやかさない)為の必須条件であることを、私達は日常生活の中に忘れて来てしまっているのではないでしょうか?旅立って逝く者が、その遺族に残していく言葉・・・最後の遺言があるとすれば、「いつかは、みんな死ぬんだよ。だからこそ、この一瞬一瞬を精一杯生きて欲しい・・・」この言葉を最初に聞き取って、多くの方々にお伝えしていくのも、僧侶たる者の使命でありましょう。
去る2月8日、當山歴代住職のお墓の修復と共に、新たに合祀歴代廟の落慶建立が成されました。山梨県身延町総本山久遠寺にあります宗祖日蓮大聖人の御廟のお姿を頂戴した、この歴代廟の魂魄は、まさに前を向きて生きる為の心の宝塔であった訳です。
座右の句に、こんな句があります。
『投げられた ところで起きる 小法師かな』
起き上がり小法師(ダルマ)は、いつ・いかなる場所に放り出されても、文句1つ言わず、その場所を正念場として、コロッと立ち上がります。
私達の人生に対する処世も是非こうでありたいと想う今日・このごろ・・・。
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