東日本大震災被災地義援・慰霊参拝を終えて
『くやむなよ ありし昔は
是非もなし
ひたすら ただせ 当下一念』
江戸時代初期の儒学者 中江藤樹の言葉です。当下一念・・・今一瞬一瞬の一念、その場その場で最後まで最善を尽す。
本年も9月初頭の東北地方大震災義援・慰霊参拝時、心に刻印した姿勢でした。
人生は、心一つの置きどころとは言いますが、いかなる境遇・事態に置かれようとも、心を常に前向きに転じることに習熟・練磨することに心を配る。岩手県大槌町コラボスクール臨学舎(NPO法人カタリバ主催の放課後学習場)に籍をおく、ある高校二年の女子学生の心の傷と対峙した時、表現に窮する公憤を禁じ得ませんでした。
一燈を提げて 暗夜をいく
暗夜を憂うること勿れ
唯 一燈を頼め
周囲を照らす一燈・・・私にとって人生の羅針盤ともいうべき幕末の儒者 佐藤 一斎の人生観、彼は次の様な厳しい戒めも残しています。
『一物の是非を見て、而て大体の是非を問わず。一時の利害に拘りて、而て久遠の利害を察せず。為政此くの如くなれば、国は危し。』・・・物事の是非を見る場合、大極からの視点を見失えば、又 その時だけの利害に固執して、後世に及ぼす利害を無視する為政者がはびこれば、その国の将来は危ない。
2020年、東京オリンピック誘致決定?・・・バカげた事をするな!物事には優先順位というものがあるだろう・・・・・あの高校二年の女子学生の悲しみ、悲痛に象徴される修羅場、4畳間二間の仮設住宅での二年半を過ぎた生活・・・打上げ花火で、一昨年平成23年の日本を象徴した『絆』が本当に保てるんですか?為政者・東電の幹部よ、恥を知れ!
「うっかり」と「しっかり」は一字の差。・・・しかし、一字の差で日本国の行く手に対する評価、国際人としての真価が問われていることが何故解らないんだ!
任重くして、又 道遠しの感をいなめません。人心の復旧・復興なくして、真の大震災復興は決してありえません。
「ある人問う、人 艱難に遭う、これ不幸なることか。曰く、艱難は またこれ事を経ざる人の良薬なり。心を明らかにし、性を練り、変に通じ権に達する。まさに、この処にあって力を得る」・・・苦しみや困難は、未だ人生経験不十分なる人には、自らの性質を練り、いかなる変化・境遇の推移にも動ぜず、正しい権りごとができる人生修養の最良の場であると。
震災孤児・遺児よ、ガンバレ ガンバレ!
祈る・・・未来に幸多からんことを。 |